2月16日から行われていた卓球の世界選手権団体戦の期間中、ある事象が話題となった。女子1次リーグの第3戦で日本は南アフリカを3−0で破ったが、その第1試合、木原美悠が第1ゲームを11−0で獲り、第2試合では平野美宇が第1ゲームを11−0で先取した。それに対して「マナーとしてどうか」という声が起こったという。相手に得点を与えなかったことの是非が話題となったのだ。

 どういうことかと言うと、テニスや卓球では相手が無得点のゲームを「ラブゲーム」と呼ぶ。あえてミスするなどして故意に得点を与えてラブゲームを避ける「暗黙のルール」があるのにそれに反しているのではないか、という見方だ。

 この暗黙のルールは、たしかに、まったく根拠のないものではない。「いつから」なのかを明確に語るのは難しいが、おそらく1ゲームが21点から11点に変更されたあと、中国から発生している。王者のふるまいが広がる例は珍しくないが、卓球界では圧倒的な強者である中国の選手のマナーが広がり、暗黙のルールとして捉えられるようになっていった。国際舞台で戦う日本の選手の中にも意識するようになった選手がいた。

卓球の「暗黙ルール」は世界基準?

 卓球に限らず、ルールとして明文化されていなくてもマナーや文化などとしていわば暗黙のルールのようなものが存在するケースはさまざまな競技に見られる。

 サッカーではこれまで、怪我で起き上がることができない選手がいるとボールを外に出してゲームを止めて、それに対して怪我した選手が出た側のチームはスローインで相手にボールを返す光景が見られた。

 ボクシングでは開始時にお互いにグローブを合わせる光景がある。正々堂々闘おうという意志表示あるいは挨拶だというが、明文化されているものではないから、そこでいきなり殴っても、物議を呼ぶことはあっても反則にはならない。

 またMLBにも、大差をつけてリードしているチームは終盤に盗塁をしてはいけない、などといったさまざまな不文律があるのを耳にすることがある。

 根強く存在するそれらには各競技それぞれの背景がある。ただ、卓球でのラブゲームを避けるという暗黙のルールはもうすでになくなっている、と言っていいだろう。そもそも国内ではそこまで浸透しているものでもなかった。

中国金メダリストは「11ー0」をどう考えている?

 2019年の世界選手権決勝でのことだ。女子シングルスで優勝した中国の劉詩雯は試合の中で11−0と圧倒して獲ったゲームを披露している。中国内で、意図的に得点を与えることが果たして相手に対するマナーと言えるのか等、議論が起こったことが背景にあり、そこから流れが変わったという。

 その翌年の2020年、カタール・オープン準決勝では伊藤美誠がリオデジャネイロ五輪金メダルの丁寧(中国)を4−0で破る快挙を成し遂げた。その第3ゲームでは11―0と相手に1点も渡さず圧倒している。

 今回の世界選手権でも、木原や平野以外でもラブゲームは見られた。女子決勝トーナメント2回戦で中国はタイと対戦し3−0で破った。その第1試合で東京五輪金メダルの陳夢が第3ゲームを11―0で獲っている。

 試合後、陳夢は中国メディアに対し、「1点であっても気を緩める勇気はありません。集中できたことに満足しています」と話している。

わざと点を与える行為は、傲慢の裏返しでは

 陳夢の言葉も示しているように、マナー云々以前に、勝負を考えるなら隙をつくらないのは当然のことだ。オリンピックや世界選手権などで10−0から逆転したケースは記憶の範囲の中ではないが、東京五輪の混合ダブルスでは大逆転劇があった。金メダルを獲得した水谷隼と伊藤が準々決勝でドイツのペアと対戦した際、2−9と追い込まれたところから逆転して獲ったのである。

 10−0となっても、それで「大丈夫」と安心する選手はまずいないのではないか。国際舞台で戦う選手は皆、そうした緊張をもって取り組んでいる。ましてや先の伊藤と丁寧の例のように、いくら大差であっても中国の強豪選手を相手にあえて1点を与えればその先どうなるか、分かったものではない。

 やはり、全力を尽くしてプレーすることこそ、スポーツのマナーに即しているのではないか。むしろ、意図的に1点を与える行為は相手への礼儀でも敬意でもなく、そこから絶対に逆転されることはないという傲慢ともとれる自信の表れと捉えることができる。

 その点を考えても、思いがけず話題となった卓球の暗黙のルールは、消えてしかるべきものであったのだろう。

文=松原孝臣

photograph by JIJI PRESS